私の空き家再生物語〜私のひとしずく〜

一軒の物件との出会いからたくさんの奇跡の物語がはじまっていきました。



私の空き家再生物語〜奇跡のはちどり食堂のはじまり その0〜

私の空き家再生物語〜奇跡のはちどり食堂のはじまり その1〜


私の空き家再生物語〜奇跡のはちどり食堂のはじまり その2〜


自分の想像を超えて動き出したはちどり食堂


9月28日にオープンすると決めたけど、ギリギリまで「絶対無理だ!」と思っていました。

でも、あれよあれよと問題が解決していき、無事にオープンすることができました。


オープン当日は雨


「お客さんは来てくれるかな、、、、」と不安でいっぱいでしたが12時ごろから近くに住む友人たちが来てくれたり、夜は通りがかりの近所の若い子たちのグループが来てくれたり、ホッとしたし、楽しい1日になりました。



メニューはこんな感じ

唐揚げ


水ぎょうざ


納豆チャーハン


はちどり定食

サーファーランチ



素材にこだわった食事を食堂らしいメニューで作りました。



そんな素朴なメニューにナチュラル志向の方から、がっつり食べたいサーファー男子までいろんな人が来てくれるようになりました。




営業時間は10時〜22時まで


忙しい時間はランチタイムと夜の時間でお客さんがいないときはゆっくりしたり、仕込みをしたり、夜の営業が終わってから次の日の仕込みをするときは深夜0時過ぎまで働いていましたがでも毎日が充実していて楽しかったです。


以前結婚していた時も朝から夜遅くまで働いて、体力的にはきつかったけどお店は順調でお客さんとのおしゃべりもとっても楽しくて毎日充実していました。

でも、お店のやり方で旦那と意見が合わず、私がやりたいことができないことがたくさんあって不満に思うこともあり、自分で食堂をやってやりたいことを思う存分できることがとっても楽しかったです。


やりたいことをやるっていうのはうまくいくことも失敗することもすべて自分の責任。


だからこそ楽しかったですね。


12月にはクリスマスイベントをしたり、いろんな人たちとつながったり

オープンしてから順調でした。


看板犬のぶーちゃんもお客さんに大人気


毎日気持ちよくお昼寝💤





貯金はなく、融資も通らずでクレジットカードで必要最低限のものを買ってギリギリでスタートしましたが、大工さんへの支払いもカードの支払いも順調にでき、スタッフさんもお客さんもいい人たちばかりで、私が楽しめば楽しむほどみんなも楽しんでくれました。



結婚しているときは、それなりに充実していたけど

でも「辛いことがあっても私さえガマンすればいい。そしたらみんなが幸せになる」

そんな風に思っていました。



「私さえガマンすればいい」という生き方をしてきたけど誰も幸せにならず、私は心も体も壊して離婚をしたのですが、でもそれらのことがあったおかげで

「私は私を生きよう」って思うようになったのです。



「私さえガマンすればいい」のではなく「私が幸せになる。私が幸せになったらみんなも幸せになる」


そんな生き方に変わりました。


まずは自分が一番楽しむ。


自分がやりたいことしかしない

自分が楽しいことしかしない



最近はやりたいことをやることが当たり前になってきましたが、まだ私がはちどり食堂をはじめたときはそんなことを言っている私にとても批判的な意見もたくさんありました。


でも応援してくれる人たちもたくさんいてそんな人たちに支えられながら私はどんどん自分の理想を叶えていったのです。



「ハチドリのひとしずく」という本に出会って、自分の生き方を見つけました。


自分の生き方が決まったら、それを一緒に実現していく仲間たちと出会い、そして理想を実現していく物件と出会いました。



一歩を踏み出すときは怖かった。


でも、勇気を出して一歩を踏み出したらたくさんの仲間や応援してくれる人が人が現れた。



このままどんどんうまくいくと思っていました。




でも、2011年3月11日

東日本大震災ではちどり食堂のある九十九里も津波の被害を受けました。


お店の被害は大きなものではなかったけど、この震災がはちどり食堂を揺るがし、私の生き方を大きく変えていくことになりました。



つづく

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